つれづれなる技術屋日記

しがない技術屋。専門は情報工学で、「つれづれ技術屋」って呼んで。

「プリウスという夢」

この本は、出版されて間もなく購入したと思うけど、ずっと本棚の隅に置いていた。パラパラと見た感じは車やメカの専門用語が少なくなくて、余り興味を覚えなかったためかと思う。

 

この夏に、何かのきっかけで気になって冒頭から読んでみた。”プリウス”の企画の段階から工場出荷までのノンフィクションと言える。しかも、当初はハイブリッドの乗用車での企画でもなく、出荷までの問題発生や対応が結構生々しく書かれている。車以外のプロジェクト、特にプロジェクトの高速化でも参考になることが多いと感じた。また、所々にトヨタ用語が書かれており、いくつかは知らないものがありその意味でも参考になった。

 

ちなみに、主人公と呼ぶべき登場人物は、プリウスの当時チーフエンジニア(CE:主査)の内山田竹志氏。2012年6月に、トヨタ自動車(株)の代表取締役副会長に就任した。

 

 

以下、感想などを、メモ書きのつもりで記載しておく。[]内は本のページ数。

 

1993年の9月に「G21プロジェクト」が発足する。21世紀の車を考えるトヨタ社内研究会。[P11] 後々のことを考えると、この研究会は車しかもセダンタイプの車体形態を検討するのが中心と捉えるべきだろう。当初のチームが発展解消して、1994年1月には選任チームとなる。その時のメンバーが内山田と石田の二人。[P18] 3,4ヶ月で同じプロジェクト名(で人数は限定的)ながら、研究会→選任メンバー選定にまでこぎ着けている。一般的な企業での製品化に於けるプロジェクトとしては、結構スピーディと思える。

 

しかも人数が増えて10人くらいになったチームは、1994年7月に企画をまとめる。その後、当初車の形態(のみ)だったのに、1995年の東京モーターショーにハイブリッドを搭載したコンセプトカーを出品するとの命になる。[P61] 言われたのが11月とのことなので、ショーへの出品まで1年程度。

 

1995年になると、第1次BRVFなる省燃費を探るチームが形成される。BRVFのBRはトヨタ用語で、ビジネスリフォームの略。 [P68]  BRは、横断的なタスクフォースと考えればいいのかもしれない。また省燃費を探ると言うよりも、ハイブリッドそのもの、あるいはハイブリッドにおける省燃費を探るチームと受け取った。第2次のBRVFチーム[P89]や第3次のBRVFチームが1996年3月に発足している[P166]ので、BRはプロジェクト専従でもなく、メンバーの入れ替えなどで洗練した方法にブラッシュアップさせるとの考えなのかも知れない。あるいは、設計を一旦終了/まとめさせて、色んな条件でのデータ取りをある程度時間を掛けて行い、それを次のチームに活用するようするようにしているのかも知れない。

 

なおトヨタのEV関連特許が2013年とか2016年に特許切れになるとの話題があるが、出願から20年という特許の有効期間を考えると、BRVFチームによるものや、その少し前に研究などにタッチしたメンバーでの出願によるものだったのかも知れない。

 

1995年秋には、「プリウス」と言う名前も誕生する。ちなみにトヨタでは、製品企画を「Z」と呼称するようだ。[P85] Zは、製品企画と言うよりも車開発での総合管理ポジションのようだ。[P100] 推進PMOとでも考えた方がぴったり来るのかも知れない。

 

ショー出展を絡めたこのあたりの流れは、先覚的な商品の場合に大なり小なり発生することで、興味深かった。過去を振り返って理路整然と商品化への筋道を描くことが出来るし、ドラマなどではそのパターンが多いが、世の中の動向や会社の都合などで回り道をしたり急がされたりすることは少なくない(はず)。

 

1996年のはじめには、デザインコンペを開催している。日本以外、アメリカやヨーロッパなどのトヨタのデザインセンターなども応募。[P110,P114] 1996年5月には2つに絞っている。[P138] うち1つがアメリカのキャルティのデザイン。[P115] 最終的にキャルティになったいきさつとして、副社長と専務が渡米の際に、キャルティでのクレイモデルを見て好感を持ったとの逸話も紹介されている。[P146]

 

バッテリーの、特にパナソニックEVエナジーのことにも触れている。(1996年半ばに基本合意して)1996年12月に設立して、1月には営業開始。[P194]

 

1997年9月頃から、高岡工場での生産のための試作(号試)開始し、1997年12月10日にラインオフ。号試では、設計者が工場に張り付いて不具合とかを対策する。その際の設計変更(設変)担当を、RE(レジデントエンジニア)と呼ぶ。プリウスの場合、高岡工場でのRE設変は百の単位で行われたようであるが、他のトヨタの車の場合は千の単位だそうだ。ラインオフのメールに対して、開発関係者は既に次のプロジェクトに参画していて淡々受け止めた人が少なくなかったのが印象的だった。[P209~P215]

 

商品化までの期間が短く、RE設変が少なかった。そのための布石が紹介されているが、一般的なプロジェクトやソフトウェア開発にも参考になると思われる。まず、2~3ヶ月に一度、試作車を最終状態にしていくというもの。[P105]  もう一つは、SE(トヨタ略称で、サイマルテニアスエンジニアリング)を徹底して行うというもの。SEは、前工程や後工程をクロスオーバーさせる方法。[P106] PMBOKでの”ファスト・トラッキング”と同じだろうが、このブログでの”スクラム”の原典「ラグビー方式による新製品開発競争」で記載した富士ゼロックスでの”サシミ(刺身)”とも相通じる。多くの企業で、大なり小なり実践している方法ではあろうが。

 

また、工場から製品企画へ出向させることも行っており、言わば「逆RE」。[P153] これもSE活動と言えると考える。新「G21プロジェクト」のメンバーはCADが使えることを条件とし、部屋にはCAD端末を2台用意している[P25~P27]ので、先覚的な環境整備は行われていたと考えるべきだろう。それらも設計時のスピードアップ化に寄与したのだろう。

 

なお逆説的だが、内山田はそもそも最初の試作車を早めに走らせようとするが、「2回の冬」を越させたかったようだ。[P93] つまり、冬の北海道のテストコースでのテストを2回行うということ。当初のスケジューリングで、商品化の場合のショー出品や、評価・テストを想定/重要視するのは非常に有効であると、改めて感じた。

 

もちろん、タイトなスケジュールへの反発[P94]や部門間の衝突[P172]も発生しており、(当然)一筋縄でいかなかったことが伺える。他にもエピソードはいくつか紹介されている。

 

他に、テスト走行に関しても書かれている。特にピークは1997年の7月~8月で、担当の一人は3ヶ月間で2万4千キロ走ったそうだ。当然3交替などになってくる。夜の8時から朝の4時まで500キロ走るなど。また、新しいタイプの車なので、テスト方法自体も新しく考えたとのこと。試作車の取り合いなども紹介されている。[P205~P207] このあたりも、自動車以外にも通じるところが多い。特に試作機の取り合いなどがそうだ。

 

 

トヨタの(生産ではなく)製品開発の本はいくつか出ている。自分の持ってる中には、海外で出版されたものを翻訳したものもある。この本は、物語風で分かりやすいのと、直近でのトヨタのSE活動にも言及していて参考になることが多いと考える。個人的には、ソフトウェア開発とかプロジェクト管理系の人にも一読を勧めたい。

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