つれづれなる技術屋日記

しがない技術屋。専門は情報工学で、「つれづれ技術屋」って呼んで。

大阪・梅田での人骨発見と明治の鉄道黎明期

昨日のニュースでの、大阪梅田 人骨1500体超。数が多いことや、子供や病気の人が少なくなくて埋葬品も色々出てて、話題になってる。

 

mainichi.jp

貨物駅ターミナルだった所を開発しようとして発見されたそうだ。後述するように、前にも人骨発見された。ただ、以前は200体程度で、今回は数が遥かに多くてニュースなどでの扱いも大きかった? (以前の200体の方は、ニュース等で目にしなかった/気付かなかった。)

 

元貨物駅の開発での遺跡発見ということでは、”汐留”での発掘調査を思い出した。調査が結構長くて、ゆりかもめが営業開始してからも続いて、ゆりかもめの車窓から発掘の様子が見えたものだ。元は江戸時代の大名屋敷などだった。

汐留は、元新橋駅。♪汽笛一斉新橋を~ での新橋は汐留のこと。その後旅客業務が今の新橋駅になり、汐留の方は貨物駅へ。発掘調査後の今では、「旧新橋停車場」として、復元というかモニュメントが作られた。

 

恐らく大阪梅田の人骨遺跡?も、明治の鉄道開設時に埋め立てられたものだろう。ちょうど汐留で大名屋敷を埋めたように、、、。

どこかにまとまった情報があるかもしれないが、ネットでもそれらしい記事を紹介。

jaa2100.org初代大阪駅は、梅田(埋田)というもの。

 

www.constnews.com200体発見と調査の頃のもの。大阪-神戸間の鉄道建設の際に、梅田あたりにしたいきさつなどにも言及されている。”土をかけて投げ込まれただけ”との表現もあって、お墓なり人骨を移設していった可能性もある。個人的には、お寺なども存在してたなら、いわゆる”廃仏毀釈”も影響してたのかもと思ってしまう。

 

trafficnews.jp200体発見からしばらくしてのもの。

 

なお神戸-大阪の鉄道開設は、新橋-横浜と比べて2番目だったということもあってか、その後の扱いも小さな感じ。特に梅田というか初代大阪駅の扱いが小さい。

明治7年(1874年)5月11日に開業するが、開業式がおこなわれたのは明治10年(1877年)に京都駅まで延伸した時だそうな。そして現代、平成26年5月11日(日曜日)に大阪-神戸間 開業140周年 記念セレモニーは、神戸駅で開催されている。梅田が貨物駅としてが主になったりが理由だろうが、今となっては埋めて駅にしたことも少し影響してるのかもしれないと勘ぐってしまう。

 

蛇足:新橋-横浜の開業が、明治5年 1872年10月14日。12月2日(1872年12月31日)までは天保暦(以下、旧暦)を採用してたので、微妙な日数計算では注意。また、ウィキの「日本の鉄道史」などでも書かれているが、江戸幕府アメリカに対して鉄道設営免許を与えている。その後アメリカ政府は建設申請するが、明治政府が却下。その後イギリスの技術等の援助で、日本人主体での建設そして営業へこぎつけている。

 

今回人骨1500体強の発見で、何か供養をと考える人達も少なく無い気もする。都市開発なので、モニュメントみたいなのをとの声もあるだろう。「旧新橋停車場」のようなものが良いのか、ちょっとした供養塔の方が良いのか、あるいは両方なのか、、、。個人的には供養塔の方に1票かな。

大阪以外にも、明治時代の鉄道黎明期に各地で大なり小なりの出来事が起きたのであろう。梅田での人骨発見はミステリアスな側面で取り上げられるのかもしれないが、明治時代の鉄道黎明期などに思いをはせるのも悪くないと思う。

 

 

 

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