今日の勉強会後の懇親会では、いろいろな話題に飛んだ。
唐突というほどでもないけど、「アングロサクソン系ってコードレビューする/してうまく行ってる?」みたいな会話へ。大抵、「そういえば、やってうまく行ったなんていう話はないかな~」とか、「そもそもやらないんじゃないの」との返事。もちろん、コードレビューの本そのもので、書かれているのはアングロサクソン系がほとんどだけど。(その場で特に話した人はいないけど、その場のアングロサクソン系って、中国も含む感じかなと勝手に解釈してます。)
念のためだけど、ここでのコードレビューって、コードそのものの読み合わせ。組織体によっては、もう20年近くとかそれよりも前に実践しているところが多い。私の場合、大学の演習とかでもその類をやった気がする。ただ多少体系的なり記録に残すというのは、会社へ勤務してから。 なお、なんか最近、違う意味に解釈しているところもあって少しだけど困惑。
で、コードレビューは、日本人では結構実践している。「なぜ?」が話題に。で、言ったのは「田植えなんかで、隣の人の動きとかみながら作業するから?」と言ってみた。つまり、日本人って、結構オープン性が高い。温泉とか銭湯などの共同風呂が最たるもの?
狩猟民族だと、そうでもない。取ってきた獲物が、本当にその人が猟したかわかったもんじゃない。なので、神様には嘘つかないとか、契約社会へ。
なお、最近はGoogleなどのように、全社的にソースを共有する仕組みを実践しているケースはある。
それらを考えると、アングロサクソン系は、オープンにしないか、オープンをやたらと広い範囲とするかのどちらか。日本人は、グループでの共有が前提。そんなに考えてみたけど、いかが。